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アイテム詳細
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レビュー(Amazon.co.jp)
1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。
1951年に『ライ麦畑でつかまえて』で登場してからというもの、ホールデン・コールフィールドは「反抗的な若者」の代名詞となってきた。ホールデン少年の物語は、彼が16歳のときにプレップ・スクールを放校された直後の生活を描き出したものだが、そのスラングに満ちた語り口は今日でも鋭い切れ味をもっており、ゆえにこの小説が今なお禁書リストに名を連ねることにもつながっている。物語は次の一節で語りだされる。
――もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかとか、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭に血を上らせることになってしまうからね――。
ホールデン少年は、教師をはじめとしてインチキなやつら(いうまでもなくこの両者は互いに相容れないものではない)と遭遇することになるのだが、こうした人物に向けられる風刺がきいた彼の言葉の数々は、10代の若者が誰しも味わう疎外感の本質をしっかりと捉えている。
カスタマーレビュー
おすすめ度:
一度は読んでおきたい本。
(2008-08-15)
やっと読めました、この本。
野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』は文体が読みにくく、3年もかかって読めなかったのだが、これは一気に読んで2日で読めた。さすがは村上春樹、米語翻訳うまいなー。
ということで個人的に、かの「The Catcher in the Rye」を読みきれたというだけで感動。
そんなわけで読みやすさにかけては野崎孝より村上春樹の方に軍配が上がると思うけれど、ネットで書評を見てみると、野崎孝訳の方が好きという人も結構いるんですね。要は村上春樹は意訳しすぎてる・・・といった理由で。
でも時代に応じて表現の仕方って変わるものであって、かつての訳を現代語訳(?)にするってのはそんなに悪いことじゃないと思う。それに訳者によって訳し方が違うのは当たり前じゃないかとも思う。だから、どの翻訳が良いかってのは大方言うことなんて出来ず、読者個人の感性にぴったり合うものを選ぶしかないんじゃないかなー。
悔しかったら原著をそのまま読むしかない・・・と、そう思う。
さて本書はホールデン・コールフィールドという16歳の高校生が主人公。
彼は英語以外の授業に対してやる気がなく、12月のクリスマスを迎える頃、3つ目の高校を退学となってしまう。このことを家族に知られるまでのしばらくの間ニューヨークで時間をつぶすことを思いつき、背伸びをしようとしたり、いろんな相談をしたいのに相手が気分が悪くなるような冗談で茶化してしまったり、その他イロイロと考えたり・・・。
起承転結でメリハリのある物語ではなく、ダラダラと思っていることを延々と誰かに話しているような書き方なので、読み始めはちょっと違和感があるけれど、精神的な脱皮をしようとモガいている少年の裏表のない、みっともないことや滑稽なこと含めた思い切った吐露に思わず読み入ってしまった。
人によって子供から大人になるルートやタイミングって違うんだろうけど、きっとみんな人生のどこかでホールデン・コールフィールドになる時期があるんじゃなかろうか。
この本を読むことができるタイミングって人それぞれ違うかもしれないけれど、是非読んで欲しい一冊。
っていうか、自分がもう一度読み直しときたい一冊。
今だからこそ
(2008-07-26)
「赤頭巾ちゃん気をつけて」の流れから読まれた「ライ麦畑でつかまえて」の時代では,まだまだ少数派だった,経済的余裕のあるアッパーが中高から子供を有名私立に入れる風潮が,今やそれほど珍しいことでもなくなっているこの時代に,新訳で本棚に並ぶ「キャッチャー〜」はさらにまた新鮮である.あの頃はアメリカでも日本でもプチブル的だと批判の対象にもなったが,その時代にもがく10代の男の子,女の子の心理的葛藤の描写は,今も残るにふさわしい文学的価値があり,サリンジャーの魅力再発見の再読となった
訳に批判がありますが…
(2008-07-01)
私は原本に忠実でなくとも、村上氏の訳で読んでサリンジャーの言わんとすることは伝わるんじゃないかと思った。
自分は充分にライ麦畑を堪能できましたし。
ていうか、そんなに原本に忠実にしてほしいなら自分で原本買って翻訳すればいいじゃないか。
他国の言葉を自国に置き換えるなんて難しいこと。
そもそも外国小説訳なんて完璧な訳がない。
攻殻機動隊S.A.Cの「笑い男」ことアオイのルーツである「ライ麦畑でつかまえて」
(2008-06-05)
とにかく難しかったですね。きっかけが攻殻だったので…。
読むまではホールデンて奴は世の中の全てのインチキに蹴りを入れてやるような青年かと思っていました。
が、そうではなく自分の身の周りで起こるインチキな出来事、それに対しての執拗なまでの否定とわずかな肯定。
自分では何もできないもどかしさ。
そんなところから共感出来るような全く出来ないような彼の行動は支離滅裂で尚且つ粗野。
だが兄妹や恩師との温かな触合いは良かった気がします。
彼は「ライ麦畑のつかまえ役」になりたいとあるが、彼は「ライ麦畑のつかまえ役」ではなく「つかまえてもらう役」で恩師や兄妹に助けを求める弱い青年だったのかなって勝手に解釈…。
実際恩師が彼をつかまえ良い?方向へ導こうとするが反発。自分たちと一緒の弱い個だったのかなと思いました。
自分の語学力と理解力では何度も読まないとダメだろう。
I thought what I'd was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes
僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えたんだ。
(「唖でつんぼのふり」よりこの訳の方が分かりやすい気が)
ホールデンは現実から逃げたっかっただけだろうけど、笑い男はor should I ? (が、ならざるべきか。)戦おうとしていた、インチキと。
だからなんだかがっかりしました。まあフィクションなのでいいんですけど。
キャッチャーになるべくして
(2008-05-06)
読まず嫌いをしてまして、有名だから読む気がしなかったんです。
村上春樹好きということもありまして、なんとなく手にしてみました。
最初はこの口語体が永遠とつづくのではないかと不安を抱きながら(しかし最後までこのままなのですが)読み始めてました。まさに、口に入れた瞬間に良薬の如し、苦いのなんの。
その上、青春感としてあまりに突出している否定の積み重ね。単調単調。ずっと何一つ
何ページにもわたり、ただ単調に否定をつづけるコールフォールド君に
あきあきすることもしばしばでした。読み続けても救われないかも知れない不安感
それは時として、コールフィールドが感じているそれそのもののような気がする
そう感じ始めると、同じような時期から、コールフィールドの感覚は少しずつ鋭敏に
と同時に自分に対しても鋭敏に感じ始めるのです。
そして、フィービーとの再会とアントリーニ先生との再開で(僕は特にアントリーニ先生との会話が好きだったりするのですが)コールフィールドを通り越して
サリンジャーとの会話が始まるのです。
そして、結末を静かに静かにサリンジャーが見せてくれる
読みやすくはないですが、こと共感ができるのならば、なるべくして早くにこの本と
出会うべきなのだと思いました。なるべく早くに。
おすすめ度:
一度は読んでおきたい本。
やっと読めました、この本。
野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』は文体が読みにくく、3年もかかって読めなかったのだが、これは一気に読んで2日で読めた。さすがは村上春樹、米語翻訳うまいなー。
ということで個人的に、かの「The Catcher in the Rye」を読みきれたというだけで感動。
そんなわけで読みやすさにかけては野崎孝より村上春樹の方に軍配が上がると思うけれど、ネットで書評を見てみると、野崎孝訳の方が好きという人も結構いるんですね。要は村上春樹は意訳しすぎてる・・・といった理由で。
でも時代に応じて表現の仕方って変わるものであって、かつての訳を現代語訳(?)にするってのはそんなに悪いことじゃないと思う。それに訳者によって訳し方が違うのは当たり前じゃないかとも思う。だから、どの翻訳が良いかってのは大方言うことなんて出来ず、読者個人の感性にぴったり合うものを選ぶしかないんじゃないかなー。
悔しかったら原著をそのまま読むしかない・・・と、そう思う。
さて本書はホールデン・コールフィールドという16歳の高校生が主人公。
彼は英語以外の授業に対してやる気がなく、12月のクリスマスを迎える頃、3つ目の高校を退学となってしまう。このことを家族に知られるまでのしばらくの間ニューヨークで時間をつぶすことを思いつき、背伸びをしようとしたり、いろんな相談をしたいのに相手が気分が悪くなるような冗談で茶化してしまったり、その他イロイロと考えたり・・・。
起承転結でメリハリのある物語ではなく、ダラダラと思っていることを延々と誰かに話しているような書き方なので、読み始めはちょっと違和感があるけれど、精神的な脱皮をしようとモガいている少年の裏表のない、みっともないことや滑稽なこと含めた思い切った吐露に思わず読み入ってしまった。
人によって子供から大人になるルートやタイミングって違うんだろうけど、きっとみんな人生のどこかでホールデン・コールフィールドになる時期があるんじゃなかろうか。
この本を読むことができるタイミングって人それぞれ違うかもしれないけれど、是非読んで欲しい一冊。
っていうか、自分がもう一度読み直しときたい一冊。
今だからこそ
「赤頭巾ちゃん気をつけて」の流れから読まれた「ライ麦畑でつかまえて」の時代では,まだまだ少数派だった,経済的余裕のあるアッパーが中高から子供を有名私立に入れる風潮が,今やそれほど珍しいことでもなくなっているこの時代に,新訳で本棚に並ぶ「キャッチャー〜」はさらにまた新鮮である.あの頃はアメリカでも日本でもプチブル的だと批判の対象にもなったが,その時代にもがく10代の男の子,女の子の心理的葛藤の描写は,今も残るにふさわしい文学的価値があり,サリンジャーの魅力再発見の再読となった
訳に批判がありますが…
私は原本に忠実でなくとも、村上氏の訳で読んでサリンジャーの言わんとすることは伝わるんじゃないかと思った。
自分は充分にライ麦畑を堪能できましたし。
ていうか、そんなに原本に忠実にしてほしいなら自分で原本買って翻訳すればいいじゃないか。
他国の言葉を自国に置き換えるなんて難しいこと。
そもそも外国小説訳なんて完璧な訳がない。
攻殻機動隊S.A.Cの「笑い男」ことアオイのルーツである「ライ麦畑でつかまえて」
とにかく難しかったですね。きっかけが攻殻だったので…。
読むまではホールデンて奴は世の中の全てのインチキに蹴りを入れてやるような青年かと思っていました。
が、そうではなく自分の身の周りで起こるインチキな出来事、それに対しての執拗なまでの否定とわずかな肯定。
自分では何もできないもどかしさ。
そんなところから共感出来るような全く出来ないような彼の行動は支離滅裂で尚且つ粗野。
だが兄妹や恩師との温かな触合いは良かった気がします。
彼は「ライ麦畑のつかまえ役」になりたいとあるが、彼は「ライ麦畑のつかまえ役」ではなく「つかまえてもらう役」で恩師や兄妹に助けを求める弱い青年だったのかなって勝手に解釈…。
実際恩師が彼をつかまえ良い?方向へ導こうとするが反発。自分たちと一緒の弱い個だったのかなと思いました。
自分の語学力と理解力では何度も読まないとダメだろう。
I thought what I'd was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes
僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えたんだ。
(「唖でつんぼのふり」よりこの訳の方が分かりやすい気が)
ホールデンは現実から逃げたっかっただけだろうけど、笑い男はor should I ? (が、ならざるべきか。)戦おうとしていた、インチキと。
だからなんだかがっかりしました。まあフィクションなのでいいんですけど。
キャッチャーになるべくして
読まず嫌いをしてまして、有名だから読む気がしなかったんです。
村上春樹好きということもありまして、なんとなく手にしてみました。
最初はこの口語体が永遠とつづくのではないかと不安を抱きながら(しかし最後までこのままなのですが)読み始めてました。まさに、口に入れた瞬間に良薬の如し、苦いのなんの。
その上、青春感としてあまりに突出している否定の積み重ね。単調単調。ずっと何一つ
何ページにもわたり、ただ単調に否定をつづけるコールフォールド君に
あきあきすることもしばしばでした。読み続けても救われないかも知れない不安感
それは時として、コールフィールドが感じているそれそのもののような気がする
そう感じ始めると、同じような時期から、コールフィールドの感覚は少しずつ鋭敏に
と同時に自分に対しても鋭敏に感じ始めるのです。
そして、フィービーとの再会とアントリーニ先生との再開で(僕は特にアントリーニ先生との会話が好きだったりするのですが)コールフィールドを通り越して
サリンジャーとの会話が始まるのです。
そして、結末を静かに静かにサリンジャーが見せてくれる
読みやすくはないですが、こと共感ができるのならば、なるべくして早くにこの本と
出会うべきなのだと思いました。なるべく早くに。

