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カスタマーレビュー
おすすめ度:
初の伝記
(2008-11-24)
村岡花子の初の伝記である。著者は花子の孫だが、妹の娘を養女にした、その娘なので、村岡は筆名だろう。しかし、以前小倉千加子が花子のことを書こうとして書けなかったのは、妻子ある男との恋と結婚ということがあるので、遺族として公表をためらったのでもあろう。ミッション・スクールで育ったというから、英語力は筋金入りであったことも分かる。
文章を酷評している人もいるが、確かに少し気になるところはある。「病身の夫を看取って」は「見送って」の間違いだろうし、あと戦時中、英書を翻訳しているのが特高に見つかったら敵性語だから拘置所送りになるというのも事実誤認だろう。日本が「朝鮮、台湾、中国を植民地化」したというのも、むろん大陸は植民地化などしていないし、朝鮮と台湾は本国の版図にしたのであり、植民地ではない。あと芥川龍之介の自殺で「純文学の時代の終焉」が来たというのも逆で、純文学という語自体がその頃現れ、円本などで広く読まれるようになったのであり、純文学とプロレタリア文学は対概念ではない。あと吉屋信子の『花物語』が青年の精神に害を及ぼすと当時評されたのは、同性愛文学だとされたからではないかと思う。しかし著者は学者ではないし、これが最初の著書であることを思えば、手堅くまとめていると思う。
『赤毛のアン』やモンゴメリのように生きたアンの翻訳者
(2008-11-02)
『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子氏の生涯を、孫娘がていねいに追いかけた評伝です。
村岡花子は、1893年(明治26年)、山梨県生まれ。7歳で大病したときに辞世の句を詠むほど利発な花子でしたが、一家はびんぼう暮らしです。
せめて長女にしっかりした教育を受けさせたいという父の奔走で、10歳のとき東洋英和女学院というミッションスクールに給費生として編入学することになりました。
校舎兼寄宿舎に住み、学費が免除され、本は読みほうだい。花子はこの学校で英語と出会い、『赤毛のアン』の作者モンゴメリと同世代のカナダ婦人に囲まれて青春時代を過ごします。
編入学して5年目に海のむこうで『赤毛のアン』が出版されていますが、この小説との運命的な出会いは、30年後になります。
このあと本書は、卒業してからの教職生活と作家への道のり、生涯の伴侶との出会い、婦人参政権獲得運動への注力、愛するわが子の死など、丹念に花子の足跡を追っていきます。
夢追い人だった父の生涯や、不倫からスタートした花子の結婚生活など、取り方によってはスキャンダラスな内容もありました。肉親であれば隠しておきたいことがらに孫娘が踏み込んでいることに驚きます。
帯に「孫だから書けた!」とありますが、「孫なのによくぞ書いた!」と言いかえてもいいでしょう。
1952年(昭和27年)に『赤毛のアン』を出版し、「アンシリーズ」の翻訳は花子のライフワークとなっていきます。
貧しい出自を持つ少女が希望を持って生きていく姿は、花子の若き日の姿と重なり、家族を支えながら執筆活動に打ち込む花子の日常は、アンの原作者モンゴメリも経験した日々でした。
アンのふるさと、プリンスエドワード島を訪ねる日を夢見ていた花子は、1968年(昭和43年)脳血栓で突然の死を迎えます。
享年75歳でした。
「アン」を翻訳した村岡女史の生涯
(2008-10-28)
著者は「赤毛のアン」シリーズを翻訳した村岡花子の孫。
村岡花子の生涯が、愛情をこめて、しかし適切な距離をとって描かれる。
赤毛のアンのイメージから、村岡花子についても「ミッションスクールを卒業した、お金持ちのお嬢さま」というイメージを勝手に抱いていたので、読みすすめながら発見の連続。
父の強い希望で東洋英和に入学した彼女が、なぜ寸暇を惜しんで誰よりも勉強したか。
文学への強い憧れ。情熱的な恋。そして戦争の暗い影。
良質な小説を読むような思いでページをめくる。
印象に残ったのは、村岡花子がプリンス・エドワード島を訪ねることがないまま、その生涯を終えたというくだり。
映像が目の前に広がるようなあの生き生きした訳文が、取材なしに書かれたのは驚きだ。
原文の魅力ももちろんあるだろうけれど、村岡女史のカナダを愛する気持ち、何よりも想像力の豊かさが名訳を生んだのだろうな。
机に向かって目をつむるだけで、世界中、宇宙の果てまでも旅することができるのは、ヒトに与えられた最高のぜいたくのひとつだ。
残念すぎる・・・
(2008-09-18)
村岡花子さんが好きなので手に取ったけど期待はずれだった。1行目から文章がひどい。「寒の戻りの肌寒い日」って・・・。冒頭くらい気合いを入れて丁寧に書いてほしかった。内容もグダグダ。花子さんの遺伝子は孫までは届かなかったみたい。かなしかった。
家庭小説の大恩人の素顔
(2008-09-03)
「赤毛のアン」はじめ「パレアナ」「フランダースの犬」などの(児童/家庭)文学作品、
それに絵本「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」まで、だれもがお世話になっている翻訳者
村岡花子さんの生涯が読みやすくまとめられています。
写真資料も充実していて、戦前戦後に活躍した一人の女性の姿がいきいきと読み取れます。
カナダゆかりの婦人宣教師たちに教えを受けた東洋英和の学生生活、
こどもたち、若い人の情熱を正しい方向へ導きたい、という誠実な仕事ぶり、
家族の暖かさを求め、運命の人と出会い、毎日の暮らしを大切にした生涯、
「赤毛のアン」という作品、モンゴメリという作家も、出会うべくして出会ったといえると思いました。
一人村岡花子さんだけでなく、アンにとっても、あとに続く日本のこどもたちにとっても
すばらしい運命の出会いだったのだと、うれしくなりました。
読み進む中で、戦前戦後の著名人(女性作家、歌人、外交官・・・)との関わりに
いろいろ勉強したり、驚かされたりもしました。
おすすめ度:
初の伝記
村岡花子の初の伝記である。著者は花子の孫だが、妹の娘を養女にした、その娘なので、村岡は筆名だろう。しかし、以前小倉千加子が花子のことを書こうとして書けなかったのは、妻子ある男との恋と結婚ということがあるので、遺族として公表をためらったのでもあろう。ミッション・スクールで育ったというから、英語力は筋金入りであったことも分かる。
文章を酷評している人もいるが、確かに少し気になるところはある。「病身の夫を看取って」は「見送って」の間違いだろうし、あと戦時中、英書を翻訳しているのが特高に見つかったら敵性語だから拘置所送りになるというのも事実誤認だろう。日本が「朝鮮、台湾、中国を植民地化」したというのも、むろん大陸は植民地化などしていないし、朝鮮と台湾は本国の版図にしたのであり、植民地ではない。あと芥川龍之介の自殺で「純文学の時代の終焉」が来たというのも逆で、純文学という語自体がその頃現れ、円本などで広く読まれるようになったのであり、純文学とプロレタリア文学は対概念ではない。あと吉屋信子の『花物語』が青年の精神に害を及ぼすと当時評されたのは、同性愛文学だとされたからではないかと思う。しかし著者は学者ではないし、これが最初の著書であることを思えば、手堅くまとめていると思う。
『赤毛のアン』やモンゴメリのように生きたアンの翻訳者
『赤毛のアン』を翻訳した村岡花子氏の生涯を、孫娘がていねいに追いかけた評伝です。
村岡花子は、1893年(明治26年)、山梨県生まれ。7歳で大病したときに辞世の句を詠むほど利発な花子でしたが、一家はびんぼう暮らしです。
せめて長女にしっかりした教育を受けさせたいという父の奔走で、10歳のとき東洋英和女学院というミッションスクールに給費生として編入学することになりました。
校舎兼寄宿舎に住み、学費が免除され、本は読みほうだい。花子はこの学校で英語と出会い、『赤毛のアン』の作者モンゴメリと同世代のカナダ婦人に囲まれて青春時代を過ごします。
編入学して5年目に海のむこうで『赤毛のアン』が出版されていますが、この小説との運命的な出会いは、30年後になります。
このあと本書は、卒業してからの教職生活と作家への道のり、生涯の伴侶との出会い、婦人参政権獲得運動への注力、愛するわが子の死など、丹念に花子の足跡を追っていきます。
夢追い人だった父の生涯や、不倫からスタートした花子の結婚生活など、取り方によってはスキャンダラスな内容もありました。肉親であれば隠しておきたいことがらに孫娘が踏み込んでいることに驚きます。
帯に「孫だから書けた!」とありますが、「孫なのによくぞ書いた!」と言いかえてもいいでしょう。
1952年(昭和27年)に『赤毛のアン』を出版し、「アンシリーズ」の翻訳は花子のライフワークとなっていきます。
貧しい出自を持つ少女が希望を持って生きていく姿は、花子の若き日の姿と重なり、家族を支えながら執筆活動に打ち込む花子の日常は、アンの原作者モンゴメリも経験した日々でした。
アンのふるさと、プリンスエドワード島を訪ねる日を夢見ていた花子は、1968年(昭和43年)脳血栓で突然の死を迎えます。
享年75歳でした。
「アン」を翻訳した村岡女史の生涯
著者は「赤毛のアン」シリーズを翻訳した村岡花子の孫。
村岡花子の生涯が、愛情をこめて、しかし適切な距離をとって描かれる。
赤毛のアンのイメージから、村岡花子についても「ミッションスクールを卒業した、お金持ちのお嬢さま」というイメージを勝手に抱いていたので、読みすすめながら発見の連続。
父の強い希望で東洋英和に入学した彼女が、なぜ寸暇を惜しんで誰よりも勉強したか。
文学への強い憧れ。情熱的な恋。そして戦争の暗い影。
良質な小説を読むような思いでページをめくる。
印象に残ったのは、村岡花子がプリンス・エドワード島を訪ねることがないまま、その生涯を終えたというくだり。
映像が目の前に広がるようなあの生き生きした訳文が、取材なしに書かれたのは驚きだ。
原文の魅力ももちろんあるだろうけれど、村岡女史のカナダを愛する気持ち、何よりも想像力の豊かさが名訳を生んだのだろうな。
机に向かって目をつむるだけで、世界中、宇宙の果てまでも旅することができるのは、ヒトに与えられた最高のぜいたくのひとつだ。
残念すぎる・・・
村岡花子さんが好きなので手に取ったけど期待はずれだった。1行目から文章がひどい。「寒の戻りの肌寒い日」って・・・。冒頭くらい気合いを入れて丁寧に書いてほしかった。内容もグダグダ。花子さんの遺伝子は孫までは届かなかったみたい。かなしかった。
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それに絵本「いたずらきかんしゃちゅうちゅう」まで、だれもがお世話になっている翻訳者
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写真資料も充実していて、戦前戦後に活躍した一人の女性の姿がいきいきと読み取れます。
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こどもたち、若い人の情熱を正しい方向へ導きたい、という誠実な仕事ぶり、
家族の暖かさを求め、運命の人と出会い、毎日の暮らしを大切にした生涯、
「赤毛のアン」という作品、モンゴメリという作家も、出会うべくして出会ったといえると思いました。
一人村岡花子さんだけでなく、アンにとっても、あとに続く日本のこどもたちにとっても
すばらしい運命の出会いだったのだと、うれしくなりました。
読み進む中で、戦前戦後の著名人(女性作家、歌人、外交官・・・)との関わりに
いろいろ勉強したり、驚かされたりもしました。

