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アイテム詳細
カスタマーレビュー
おすすめ度:
この授業を受けてみたかった
(2008-11-09)
大学での講義からの抜粋という形だが、聴講した学生が羨ましくなる内容だ。もともとが話し言葉であるだけに、ひとり突っ込みや、話の脱線、学生とのコール・アンド・レスポンスなどライブ感に溢れているのも楽しい。 この面白さは、@興味の対象と講義の内容が合致している、A座学だけではなく演習が混じっている、Bフィードバックがある、C現役の作家に対する興味、で構成されていると思う。
@は大学の授業だと当たり前のようだが、実際には基礎や一般教養などで必須科目だから受講する場合も多いと思う。Aは耳学問だけの頭でっかちを防ぐ意味でも重要だ、Bは参加意識や、個人的なモチベーションの向上に不可欠、Cは世俗的な興味で、このスパイスにより単調になりがちな講義にアクセントが加わると思う。
このように講義の好例としての意義も深いのだが、一番の収穫は読解や創作の解答に幅を認めているところではないかと思う。これは受験時代とは大きく異なるところだ。
最後の第17章はそれまでとやや趣が異なる。しかし「分かるということ」とその悲劇、そして「読むことが書くことと表裏一体の表現である」という結びは感銘すら覚える結びである。
読書の自由を知る一冊
(2008-09-02)
2005年と06年に早稲田大学で北村薫が受け持った「表現の授業」の一部を活字化したものです。
新潮社や講談社の編集者や、歌人・天野慶を招くなど、北村薫ならではの創意工夫を凝らした授業が記されています。
編集者の業界裏話は本好きの読者にはたまらない面白さを伴っていますし、朗読家である北原久仁香を招いた講義部分の脚注に北村薫の短編集「1950年のバックトス」所収の「林檎の香」の裏話が書かれているのを見つけるのは、北村ファンにはこれまたたまらない読書体験といえます。
そしてなによりも、心が添うのは次の二つの言葉です。
ひとつは89頁で綴られている、
「様々な解釈は作品の中に隠れてい」て、「だからこそ、読むということが、ひとつの創作になるわけ」であり、
もうひとつは、ずっとくだって314頁の、
「読むというのは、自分がどういうところに立っているか----自分の位置を示す行為に外な」らない、です。
小中そして高校と、おそらく私たちのほとんどは読書とはあるひとつの考えを読み解く作業であると考えるように馴致(じゅんち)されるのではないでしょうか。しかし、読み解いた末に見えてくるものは読み手の数だけあるということを胸を張って言えるときに、はじめて読書は無上の喜びとなることを私自身も知りました。学校を離れた途端に読書が楽しくなった覚えのある身には、上に引用した二つはとても親近感のわく言葉に感じられるはずです。
テキストの書き方・読み方
(2008-06-22)
本書は人気作家北村薫の早稲田での文章講義が纏められた一冊。
文章を書くという視点だけではなく、読むという視点からも講義を説く。
文章表現というとついテクニック論になりがちである。
しかし本書では文章に対する感性が重要だということを説いている。
書き手としても一流ならば読み手としても一流である著者の
テキストへの感性の素晴らしさが読み取れて、
改めて文章の面白さ。それを追求したくなる。
大変良い講義でした…
(2008-06-09)
みなさんは「守・破・離(しゅはり)」という心得を知っているでしょうか?
武道を志した人なら耳にした事があるでしょう…
いや武道に限らず、茶道、華道など「道」とつくものすべてにおいて言える心得
簡単に言ってしまえば
・守(修)→師について型どうりにすべてを学ぶこと
・破→その型(流派など)を自らの修行で破りさらに心と体を発展させること
・離→守や離を意識せず独自の新境地を生み出すこと
何故こんな事を思い出したかと言うと
この本の中で北村さんと、ある雑誌の編集者の話(講義)の中に
「真・善・美」という言葉が出てきたからなのです
この本はわたしも大好きなミステリ作家である北村薫さんが
実際に早稲田大学文学部で講義をされた内容の一部を
活字化したものであって小説ではないのです
書きたい事を見つけ、想像して創造する…
そんな講義から始まり
歌人を招き、生徒達に質問させそれを各自でコラムにしたり
実際に編集をされているプロの方から話を聞いたり
小説にとどまらず、多くの創作表現方法を語られています
講義の中に出てくる人物も本当に多種多様…
ハムレットもあれば万葉集もあり
サトエリ(佐藤江梨子)もあれば写真家のウメカヨさんもあり
NANAもあってヒカルの碁もある
わたしはそんな北村薫さんに
「守・破・離」を感じたのです
この方は本当に「離」を極めた方だと…
そして「真・善・美」…
これは文芸作品とエンターテインメント小説の境界のあいまいな部分で
編集者の方が、この3つをすべて否定してしまったら
エンターテインメント小説として成り立たないという話の流れで出た言葉
…
わたしはひどく共感してしまいました
もともと講義を収録した本
本当は「勉強になりました」と言うべきなのでしょうが
わたしはとても面白く読み終わりました
レビューなど書くのはおこがましいのです
北村先生…
わたしは小説を書くには
まだまだ修行が足りないようです
起立!
礼!
ありがとうございました!
おすすめ度:
この授業を受けてみたかった
大学での講義からの抜粋という形だが、聴講した学生が羨ましくなる内容だ。もともとが話し言葉であるだけに、ひとり突っ込みや、話の脱線、学生とのコール・アンド・レスポンスなどライブ感に溢れているのも楽しい。 この面白さは、@興味の対象と講義の内容が合致している、A座学だけではなく演習が混じっている、Bフィードバックがある、C現役の作家に対する興味、で構成されていると思う。
@は大学の授業だと当たり前のようだが、実際には基礎や一般教養などで必須科目だから受講する場合も多いと思う。Aは耳学問だけの頭でっかちを防ぐ意味でも重要だ、Bは参加意識や、個人的なモチベーションの向上に不可欠、Cは世俗的な興味で、このスパイスにより単調になりがちな講義にアクセントが加わると思う。
このように講義の好例としての意義も深いのだが、一番の収穫は読解や創作の解答に幅を認めているところではないかと思う。これは受験時代とは大きく異なるところだ。
最後の第17章はそれまでとやや趣が異なる。しかし「分かるということ」とその悲劇、そして「読むことが書くことと表裏一体の表現である」という結びは感銘すら覚える結びである。
読書の自由を知る一冊
2005年と06年に早稲田大学で北村薫が受け持った「表現の授業」の一部を活字化したものです。
新潮社や講談社の編集者や、歌人・天野慶を招くなど、北村薫ならではの創意工夫を凝らした授業が記されています。
編集者の業界裏話は本好きの読者にはたまらない面白さを伴っていますし、朗読家である北原久仁香を招いた講義部分の脚注に北村薫の短編集「1950年のバックトス」所収の「林檎の香」の裏話が書かれているのを見つけるのは、北村ファンにはこれまたたまらない読書体験といえます。
そしてなによりも、心が添うのは次の二つの言葉です。
ひとつは89頁で綴られている、
「様々な解釈は作品の中に隠れてい」て、「だからこそ、読むということが、ひとつの創作になるわけ」であり、
もうひとつは、ずっとくだって314頁の、
「読むというのは、自分がどういうところに立っているか----自分の位置を示す行為に外な」らない、です。
小中そして高校と、おそらく私たちのほとんどは読書とはあるひとつの考えを読み解く作業であると考えるように馴致(じゅんち)されるのではないでしょうか。しかし、読み解いた末に見えてくるものは読み手の数だけあるということを胸を張って言えるときに、はじめて読書は無上の喜びとなることを私自身も知りました。学校を離れた途端に読書が楽しくなった覚えのある身には、上に引用した二つはとても親近感のわく言葉に感じられるはずです。
テキストの書き方・読み方
本書は人気作家北村薫の早稲田での文章講義が纏められた一冊。
文章を書くという視点だけではなく、読むという視点からも講義を説く。
文章表現というとついテクニック論になりがちである。
しかし本書では文章に対する感性が重要だということを説いている。
書き手としても一流ならば読み手としても一流である著者の
テキストへの感性の素晴らしさが読み取れて、
改めて文章の面白さ。それを追求したくなる。
大変良い講義でした…
みなさんは「守・破・離(しゅはり)」という心得を知っているでしょうか?
武道を志した人なら耳にした事があるでしょう…
いや武道に限らず、茶道、華道など「道」とつくものすべてにおいて言える心得
簡単に言ってしまえば
・守(修)→師について型どうりにすべてを学ぶこと
・破→その型(流派など)を自らの修行で破りさらに心と体を発展させること
・離→守や離を意識せず独自の新境地を生み出すこと
何故こんな事を思い出したかと言うと
この本の中で北村さんと、ある雑誌の編集者の話(講義)の中に
「真・善・美」という言葉が出てきたからなのです
この本はわたしも大好きなミステリ作家である北村薫さんが
実際に早稲田大学文学部で講義をされた内容の一部を
活字化したものであって小説ではないのです
書きたい事を見つけ、想像して創造する…
そんな講義から始まり
歌人を招き、生徒達に質問させそれを各自でコラムにしたり
実際に編集をされているプロの方から話を聞いたり
小説にとどまらず、多くの創作表現方法を語られています
講義の中に出てくる人物も本当に多種多様…
ハムレットもあれば万葉集もあり
サトエリ(佐藤江梨子)もあれば写真家のウメカヨさんもあり
NANAもあってヒカルの碁もある
わたしはそんな北村薫さんに
「守・破・離」を感じたのです
この方は本当に「離」を極めた方だと…
そして「真・善・美」…
これは文芸作品とエンターテインメント小説の境界のあいまいな部分で
編集者の方が、この3つをすべて否定してしまったら
エンターテインメント小説として成り立たないという話の流れで出た言葉
…
わたしはひどく共感してしまいました
もともと講義を収録した本
本当は「勉強になりました」と言うべきなのでしょうが
わたしはとても面白く読み終わりました
レビューなど書くのはおこがましいのです
北村先生…
わたしは小説を書くには
まだまだ修行が足りないようです
起立!
礼!
ありがとうございました!

