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カスタマーレビュー
おすすめ度:
日本共産党の「歴史」
(2008-05-28)
この本(全三巻)は日本共産党の成り立ちを描いた本です。
人間は他人に「厳しく」、自分に「甘い」といえばそれまでですが、日本の「歴史」を「厳しく」批判する日本共産党がどのような「歴史」をもった団体なのか、この本を読めば理解できると思います。
それにより日本共産党が主張する「平和」「平等」「自由」などに説得力があるのか判断できるのではないでしょうか。
現在は「ソ連」の崩壊などで「共産主義」が「民主集中制」のもとに、日本の「軍国主義」よりも、はるかに「厳格」な「一党独裁」の政治形態ということが理解されていますが、この本は、それ以前に書かれた本であり、立花氏の「批判」の正しさは「歴史」が証明したといえるのではないでしょうか。
推奨
(2008-05-01)
出版からすでに四半世紀が経過し、本書の主要登場人物である宮本賢治氏その他すべての共産党幹部は物故者となった。立花氏が指摘するように、共産党が政権を握っていたならば、国民のあらゆる人権・自由が党指令に従属するという暗黒の社会になっていたであろう。ただし、戦前の共産党が分派やうらぎりに対して冷酷非情な報復を行ってきたことは、かれら自身が非合法下で直面した過酷な運命を考えれば自己や組織防衛の措置として当然といえなくもない。新憲法下で育ち、教育を受けた立花氏は、法によって発言や行動の自由を完全に保障された自己の立場と戦前の共産党党員の違いをどれだけ自覚されているのだろうか。
『立花氏、骨太で本気』
(2007-01-12)
立花隆氏という人は、日本においては稀有の、タフなジャーナリストの一人だと思う。それは本書も勿論だが、『田中角栄研究』や『中核vs革マル』、『農協』など、「無脊椎ジャーナリスト」達ならば、手をつけたがらないテーマに、積極的に取り組んでいるからだ。つまり、気骨が通っているとも言えることである。
しかし、いくら気骨が通っていても、本書のテーマが、政治運動の集団であり、それについての考察を行う以上、著者のスタンスの明確化は、読者を罠にかける意図をもたぬのであれば、行うべき義務であると思う。
この点について引用すると『…私は「反共分子」ではない。むろん「親共分子」でもない。』(はじめにp2)ということである。つまり、「共産党ベッタリ」でもなければ、「我共産党の天敵」という、両極どちらかに位置するものではない、という自己分析である。
次に読み手が懸念するのは、「社会観」である。というのも、共産党の寄って立つマルクス・レーニン主義的社会観の古典的基本は、「上と下」、「対立する2つの集団」が骨格となる。このポイントを立花氏は、どのように自己分析しているのだろうか?引用してみると『…多様な人間存在、多様な価値、多様な思想の共生とその多様な交流こそが、健全な社会の前提条件であると考えている。』(はじめにp2)
こういった基本を踏まえ、『特定のイデオロギーを持たない私が用いる方法は、もっぱらロジックス(論理)とセマンティクス(意味論)…』(はじめにp3)であり、これをフルに発揮したのが、本書というわけである。
では次に、第二巻スペースをお借りして、本書の構成や、大いに推薦する理由などをお伝えしたい。
立花ワールドの代表作
(2005-06-06)
ジャーナリストとしての立花隆氏の傑作である。よくぞここまで古い資料(しかもほとんどが秘匿される分野でのもの)を集めて、それを丹念につなぎ合わせてストーリーにしたもんだと、驚いてしまう。
田中角栄研究の場合にはリアルタイムでの取材だったが、これはほとんどが戦前で、おまけにターゲットとなった宮本氏は当時まだ存命で、大変な圧力がかかったろう事は推測に難くない。
この本により、政治的には自民党だけでなく、共産党からも睨まれてしまうわけだが、「どちらにも与せず」という姿勢を貫く著者の態度に拍手。
日本共産党の戦前通史。
(2003-10-31)
日本共産党の歴史を一般的な視点で知りたいひとには便利な書物です。立花隆の文章は読みやすいから三分冊でも苦になりません。個人的には立花隆に対する取材妨害のてんまつなどがおもしろかった。
おすすめ度:
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この本(全三巻)は日本共産党の成り立ちを描いた本です。
人間は他人に「厳しく」、自分に「甘い」といえばそれまでですが、日本の「歴史」を「厳しく」批判する日本共産党がどのような「歴史」をもった団体なのか、この本を読めば理解できると思います。
それにより日本共産党が主張する「平和」「平等」「自由」などに説得力があるのか判断できるのではないでしょうか。
現在は「ソ連」の崩壊などで「共産主義」が「民主集中制」のもとに、日本の「軍国主義」よりも、はるかに「厳格」な「一党独裁」の政治形態ということが理解されていますが、この本は、それ以前に書かれた本であり、立花氏の「批判」の正しさは「歴史」が証明したといえるのではないでしょうか。
推奨
出版からすでに四半世紀が経過し、本書の主要登場人物である宮本賢治氏その他すべての共産党幹部は物故者となった。立花氏が指摘するように、共産党が政権を握っていたならば、国民のあらゆる人権・自由が党指令に従属するという暗黒の社会になっていたであろう。ただし、戦前の共産党が分派やうらぎりに対して冷酷非情な報復を行ってきたことは、かれら自身が非合法下で直面した過酷な運命を考えれば自己や組織防衛の措置として当然といえなくもない。新憲法下で育ち、教育を受けた立花氏は、法によって発言や行動の自由を完全に保障された自己の立場と戦前の共産党党員の違いをどれだけ自覚されているのだろうか。
『立花氏、骨太で本気』
立花隆氏という人は、日本においては稀有の、タフなジャーナリストの一人だと思う。それは本書も勿論だが、『田中角栄研究』や『中核vs革マル』、『農協』など、「無脊椎ジャーナリスト」達ならば、手をつけたがらないテーマに、積極的に取り組んでいるからだ。つまり、気骨が通っているとも言えることである。
しかし、いくら気骨が通っていても、本書のテーマが、政治運動の集団であり、それについての考察を行う以上、著者のスタンスの明確化は、読者を罠にかける意図をもたぬのであれば、行うべき義務であると思う。
この点について引用すると『…私は「反共分子」ではない。むろん「親共分子」でもない。』(はじめにp2)ということである。つまり、「共産党ベッタリ」でもなければ、「我共産党の天敵」という、両極どちらかに位置するものではない、という自己分析である。
次に読み手が懸念するのは、「社会観」である。というのも、共産党の寄って立つマルクス・レーニン主義的社会観の古典的基本は、「上と下」、「対立する2つの集団」が骨格となる。このポイントを立花氏は、どのように自己分析しているのだろうか?引用してみると『…多様な人間存在、多様な価値、多様な思想の共生とその多様な交流こそが、健全な社会の前提条件であると考えている。』(はじめにp2)
こういった基本を踏まえ、『特定のイデオロギーを持たない私が用いる方法は、もっぱらロジックス(論理)とセマンティクス(意味論)…』(はじめにp3)であり、これをフルに発揮したのが、本書というわけである。
では次に、第二巻スペースをお借りして、本書の構成や、大いに推薦する理由などをお伝えしたい。
立花ワールドの代表作
ジャーナリストとしての立花隆氏の傑作である。よくぞここまで古い資料(しかもほとんどが秘匿される分野でのもの)を集めて、それを丹念につなぎ合わせてストーリーにしたもんだと、驚いてしまう。
田中角栄研究の場合にはリアルタイムでの取材だったが、これはほとんどが戦前で、おまけにターゲットとなった宮本氏は当時まだ存命で、大変な圧力がかかったろう事は推測に難くない。
この本により、政治的には自民党だけでなく、共産党からも睨まれてしまうわけだが、「どちらにも与せず」という姿勢を貫く著者の態度に拍手。
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日本共産党の歴史を一般的な視点で知りたいひとには便利な書物です。立花隆の文章は読みやすいから三分冊でも苦になりません。個人的には立花隆に対する取材妨害のてんまつなどがおもしろかった。

