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物理学はいかに創られたか―初期の観念から相対性理論及び量子論への思想の発展 (下巻) (岩波新書 赤版 (51))
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カスタマーレビュー
おすすめ度:
「物理学とは如何にして創られるものなのだろうか?」
(2006-01-29)
上巻に続き「原子論」「統計物理」が完成されていく様子が史実に忠実に記述されています。我々のような後世の人にとっては原子・分子が存在するということはもはや当たり前なのですが、ボルツマンやマックスウェルの時代はそれらは「目に見えないもの」であって、そんな中で如何にして分子運動論が形成されていったかが良く分かります。「原子・分子の哲学上存在から実在へ」という過渡期におけるボルツマンの孤独、特に彼の理論を裏付ける実験が彼自身が提案出来なかったことに対するもどかしさが伝わってきます。(アインシュタインのブラウン運動の理論が現れるのがもう少し早ければ...) 上下巻併せて読むと「Science is a self-correcting process」(Carl Sagan)の意味が良く分かります。
この第3章を読み終えると現在の物理学でも似たようなことがあるでは、と思ったりします。例えば「超ひも理論」は、現況ではまだ誰もその存在を実験で実証できる状況にはない訳で、「超ひも」を誰も見たわけではないですから。その意味では、「原子・分子」が実在のモノとして見えてない時代におけるボルツマンの悩みと似てたりするのでは、とも思ったりしました。(勿論、「超ひも」は究極の統一理論として有望な候補の一つではあるのでしょうけれども。既存の理論をまとめあげるだけでなく、既存の理論の範疇では説明しきれない自然現象を定量的に説明出来ることが「新理論」には求められます) そんなことも考えながら、この下巻に収められている「科学と文明」という講演記録を読むと興味深く読めました。
この本は残念ながら未完で、未完の部分は朝永先生から「読者への演習問題」として残っている訳です。個人的にはこの続編として、セグレ著「X線からクォークまで―20世紀の物理学者たち」、朝永振一郎著「スピンはめぐる」を推薦したいと思います。「創り出される物理学」は「創られた物理学を学ぶこと」とは全く別物である(←湯川先生の言)、ということが良く分かります。どちらも在庫切れなのが残念。
この本に出合えて良かったです
(2005-07-28)
物理学とは全く疎遠な生活をしている私にはさすがに途中からはついていけなくなりました。
朝永先生の急逝によって下巻の構想が半ばで終わってしまったことは非常に残念ですが、こういう形で、次の世代にバトンタッチしていくというのもありなんだろうなと思うと、占星術、錬金術といった怪しい世界から数学的な論理、実験の世界へと時代の移り変わり、ひいては人間の知の広がりを垣間見られた気がします。
とても勉強になりますし、一日も早くこの本に書かれている内容のすべてを理解できるようになりたいと思いました。
勉学の間の暇つぶしに
(2005-04-22)
日本が世界に誇る大物理学者朝永振一郎先生による啓蒙書です.物理学では基礎的な訓練を積むこともおろそかにしてはいけませんがそれに疲れたら休憩と思ってこのような本をよんでみるのもいいかもしれません.しかしくれぐれも基礎を理解することを馬鹿にしてはいけません.それをわきまえた上で読みましょう.暇なときに読むと面白い本だと思います.
完成前に、朝永先生が亡くなって非常に残念。
(2005-03-18)
おそらく、この作品は物理学を力学から量子力学につなげた現代物理の歴史を交えて、広域的に作ろうとしたものだったのだと思う。下巻は上巻で述べた熱力学の話から、分子運動論への論争へ移り、ボルツマン、マクスウェルらを中心に熱統計物理ができるまでを解説しています。
おそらく、著者が亡くなっていなければ熱統計で終わらず量子力学の誕生をかみ砕いた形で解説してくれたことでしょう。
おすすめ度:
「物理学とは如何にして創られるものなのだろうか?」
上巻に続き「原子論」「統計物理」が完成されていく様子が史実に忠実に記述されています。我々のような後世の人にとっては原子・分子が存在するということはもはや当たり前なのですが、ボルツマンやマックスウェルの時代はそれらは「目に見えないもの」であって、そんな中で如何にして分子運動論が形成されていったかが良く分かります。「原子・分子の哲学上存在から実在へ」という過渡期におけるボルツマンの孤独、特に彼の理論を裏付ける実験が彼自身が提案出来なかったことに対するもどかしさが伝わってきます。(アインシュタインのブラウン運動の理論が現れるのがもう少し早ければ...) 上下巻併せて読むと「Science is a self-correcting process」(Carl Sagan)の意味が良く分かります。
この第3章を読み終えると現在の物理学でも似たようなことがあるでは、と思ったりします。例えば「超ひも理論」は、現況ではまだ誰もその存在を実験で実証できる状況にはない訳で、「超ひも」を誰も見たわけではないですから。その意味では、「原子・分子」が実在のモノとして見えてない時代におけるボルツマンの悩みと似てたりするのでは、とも思ったりしました。(勿論、「超ひも」は究極の統一理論として有望な候補の一つではあるのでしょうけれども。既存の理論をまとめあげるだけでなく、既存の理論の範疇では説明しきれない自然現象を定量的に説明出来ることが「新理論」には求められます) そんなことも考えながら、この下巻に収められている「科学と文明」という講演記録を読むと興味深く読めました。
この本は残念ながら未完で、未完の部分は朝永先生から「読者への演習問題」として残っている訳です。個人的にはこの続編として、セグレ著「X線からクォークまで―20世紀の物理学者たち」、朝永振一郎著「スピンはめぐる」を推薦したいと思います。「創り出される物理学」は「創られた物理学を学ぶこと」とは全く別物である(←湯川先生の言)、ということが良く分かります。どちらも在庫切れなのが残念。
この本に出合えて良かったです
物理学とは全く疎遠な生活をしている私にはさすがに途中からはついていけなくなりました。
朝永先生の急逝によって下巻の構想が半ばで終わってしまったことは非常に残念ですが、こういう形で、次の世代にバトンタッチしていくというのもありなんだろうなと思うと、占星術、錬金術といった怪しい世界から数学的な論理、実験の世界へと時代の移り変わり、ひいては人間の知の広がりを垣間見られた気がします。
とても勉強になりますし、一日も早くこの本に書かれている内容のすべてを理解できるようになりたいと思いました。
勉学の間の暇つぶしに
日本が世界に誇る大物理学者朝永振一郎先生による啓蒙書です.物理学では基礎的な訓練を積むこともおろそかにしてはいけませんがそれに疲れたら休憩と思ってこのような本をよんでみるのもいいかもしれません.しかしくれぐれも基礎を理解することを馬鹿にしてはいけません.それをわきまえた上で読みましょう.暇なときに読むと面白い本だと思います.
完成前に、朝永先生が亡くなって非常に残念。
おそらく、この作品は物理学を力学から量子力学につなげた現代物理の歴史を交えて、広域的に作ろうとしたものだったのだと思う。下巻は上巻で述べた熱力学の話から、分子運動論への論争へ移り、ボルツマン、マクスウェルらを中心に熱統計物理ができるまでを解説しています。
おそらく、著者が亡くなっていなければ熱統計で終わらず量子力学の誕生をかみ砕いた形で解説してくれたことでしょう。
恥ずかしながら僕自身、クラウジスが定義した熱力学におけるエントロピーとボルツマンが定義した分子運動論のエントロピーとの違いがわかりませんでしたし、その本質もわかっていませんでした。この本には何故、偉大な学者がある仮定の元に理論を作ろうとしたか、そしてどう失敗し、それを修正したかなどが詳しく載っています。
田崎晴明先生の熱力学の本と一緒に読みましたが、熱・統計物理の勉強に本当に役立ちました。ただの科学史としてではなく朝永先生の物理学者としての鋭い視点も随所に見られます。この作品が朝永先生が亡くなる前に、先生が満足する形で完成されていればもっと救われたかも、という気がします。素晴らしい本です。

